昭和37年3月埼玉県戸田市生まれ。
小学2年生の時、両親が離婚、旧大宮市立植水小学校へ転校。
日本大学法学部政治経済学科卒業
中学時代は、野球部。守備はサードやショートなど内野。レギュラーと補欠を行ったり来たり。
但し、練習だけは部の中でも最もやったと自負。
中学2年生の時に、実母くも膜下出血で危篤状態に。以後半身不随の寝たきり状態になり23年間の闘病生活後逝去。
高校3年生の時に、『国際連合』(明石康著)という本を読み、ベトナム戦争を取材したフリーのカメラマンと出会い、国際政治に関心を持つようになる。
私立明治学院中・同東村山高卒業
(中学1年昭和50年より浦和区常盤5丁目在住・平成元年より緑区中尾へ)
昭和56年4月、日本大学法学部政治経済学科入学。
日本大学法学部入学後は、”戦争と飢えをなくしたい”と想い、ゼミでは、国際関係論、国際政治学を学び、サークルでは外政研究会に所属して、代表として活動。
大学1年生の時に、JVC(日本国際ボランティアセンター)のボランティアとして、タイの難民キャンプでボランティア活動に従事。
インターカレッジな学生団体の日本国際連合学生連盟(財団法人日本国際連合協会の学生組織)の理事長として活動。
ニューヨークの国連本部で開催された模擬国連(MUN)に初の日本代表団を組織し、参加。
その後、1年自主休学し、イラン、、ヨルダン、シリア、イスラエル、エジプト、パキスタンなどど卒論をテーマに、戦乱の中東を取材。
昭和61年3月日本大学法学部政治経済学科卒業
「戦争と飢えをなくすために少しでも役立つことがしたい」との想いから、株式会社パナソニックの創業者である松下幸之助氏が設立した財団法人松下政経塾入塾に第7期生として昭和61年4月入塾。在塾中は、工場実習、販売店実習などを経験。その後、日本国内各地を周り、地域の国際化、環太平洋経済圏構想、教育問題、等に取り組みむ。環太平洋経済圏などの研究プロジェクトに参加した。
昭和63年 財団法人松下政経塾卒塾。
松下政経塾での2年間の研修が契機となり、卒塾後は、「地域から世界を変えよう」と自治体、企業のマーケティング、地域開発、各種コンサルティングなどの業務を行う会社を経営。
平成7年、33歳の時に、埼玉県南6区(上尾市)から埼玉県議会議員選挙に初めて立候補し。落選。
衆議院議員秘書、公設第一秘書を経て(衆議院秘書時代は国会と岩槻区、蓮田市担当) 結婚後平成9年7月よりさいたま市見沼区在住
平成15年、南6区(さいたま市見沼区)より18,658票で初当選(トップ当選)
全国初の議員提案による「埼玉県防犯のまちづくり推進条例」、「埼玉県スポーツ振興のまちづくり条例」を議員提案で実現。平成19年4月、22,561票で2期連続トップ当選。
平成21年、さいたま市長選挙に立候補、現職相川宗一市長はじめ5人の候補者を破り、155,966票で初当選。
平成25年、171,870票で2期目の当選を果たす。
平成29年、203,953票、10区全ての区で1位となり、過去最高の得票数、得票率で3期目の当選を果たす。
令和3年、216,768票、過去最高得票率71.5%で4期目の当選を果たす。
普段は笑顔を絶やさぬ「癒し系」。
だが、市政のことになるや口角泡を飛ばして議論を展開する熱い男。柔軟な面とテコでも動かない信念(頑固さ)を持ち合わせている。
大の感激家。あたたかい気持ちに触れたり、地域のために働く姿に感動する涙もろい市長。
現場訪問や学校訪問の際にも、子どもたちの笑顔やひたむきに頑張る姿に挨拶の際に、涙を流す場面も。
するのも見るのも大好き。ハンドボール、サッカー、野球、バスケットボール、マラソン、格闘技、散歩。中学時代は野球部。ただし、実力は弱小チームの補欠とレギュラーの中間。お世辞にも運動神経がいいとも、センスがあるとも言えない。
うまくなるには、人の何倍も練習しなくては、一人前の実力にならないタイプ。
素志貫徹(成功の要諦は、成功するまで続けるところにある)
読書は年間150冊ほど。歴史物や経済、政治ものなど様々な分野。読み聞かせも大好き。現場訪問で絵本の読み聞かせを何度もしました。
メンマをトッピングしたラーメンが大好き。昔は、コッテリの豚骨系、今は、さっぱり魚介系の出汁のラーメンが好き。
でも一番の好物は、ほとんど毎日持参している愛妻弁当。さいたま市のスイーツ、洋菓子も和菓子も大好き。
だからダイエットは苦手。でも、第2回さいたま国際マラソン出場のために10kgの減量に成功。やるときはやる。
いつも新しいことにチャレンジする根っからのチャレンジャー。
さいたま国際マラソンのPRとたくさんの市民にマラソンやスポーツすることの楽しさを知ってもらいたいとの思いから、平成28年に開催された第2回さいたま国際マラソンに、54歳で人生初めてフルマラソンに挑戦。練習も積み重ね、5時間26分26秒(ゴー風呂、風呂)で見事初完走。第4回、5回大会も出場し、フルマラソン完走。
限りない可能性を持つ市と市民力。その可能性をもっともっと引き出すために、「さいたま市を一つに」することが大切だと日頃から熱く語る。
そのために市民から「顔が見える市長に」と、休みなくさいたま市内を隈なく駆け巡る。12年間で現場訪問1216カ所。特に、子どもと高齢者の笑顔を見ると勇気百倍になる。