志の原点

志の原点

「地球上から戦争と飢えをなくしたい」

政治を志すきっかけは、高校3年生の時ベトナム戦争で取材をしていたカメラマンとの出会いでした。
中学2年生の時に、実母がくも膜下出血で倒れて寝たきりになり、当時の私は、母の病気を直すこともできない自身の無力さと、先が見えないことで、生きる希望も、夢も持てないそんな時期でした。

取材中カメラマンが目の前で見た、多くの人たちの命が失われるなどの様々な戦争中の悲惨な出来事を聞き、衝撃を受けました。
話の中で忘れられなかったのは、彼が病院で取材をしている時、誰かが彼の袖を引っ張ると言うのです。
振り返ると、幼い弟を連れたベトナム人の少女が「トゥナイトオーケー?」と彼に言ったそうです。
私の妹と同じぐらいの幼い少女が、売春をしなくては生きていけない、そんな世界があるということがショックでした。

それ以来「戦争と飢えをなくしたい」と思うようになり、国際政治、国際関係に大変興味を持つようになりました。
そして、私は、「世界中には、自分よりもっと苦しんでいる人がたくさんいる。その人のために何か役立ちたい」、そんな思いをもつようになりました。

大学へ入学してまもなく、タイのインドシナ難民キャンプへ行くことを決めました。
通学しながら深夜に工場などのアルバイトで、お金を貯めました。
そのお金で航空チケットを買い、ボランティアとして難民キャンプで働かせてもらいました。
難民キャンプでは、カンボジアやラオス、そしてベトナムから国を失い、家族を失い、戦争や飢えから逃れてきた人々が、わずかな希望を持って生活をしていました。

そんな中でも、きらきらと輝いていた子どもたちの眼が印象的でした。戦乱から逃れてきた人々から、身近な人の命が失われていく、その悲しみや苦しみを聞きました。
そして彼らと一緒に汗を流しました。私が、彼らのためにどれだけ役立つ事ができたのかはわかりません。
でも、その経験や出会いが私のその後の人生に大きな影響を与えました。
大学4年の時に1年休学して、戦争の真っ最中ともいえるイランやシリア、ヨルダン、イスラエル、エジプト、パキスタンなど中東の紛争地を取材して回りました。
戦争の犠牲になるのはいつも、弱い立場にある子どもや女性たちでした。
「地球上から戦争と飢えをなくしたい」、それが今も変わらない、私の志の原点です。

「地域から世界を変えよう」

大学卒業の際、「どうすれば戦争や飢えをなくすことができるのか、そのために何をすればよいのか、どんな職業につけば良いのか」と悩みました。
そして、「ここに行けば何かができるのではないか」と考え、選考にも幸いパスし入塾したのが松下政経塾でした。
私の想いは「地球上から戦争や飢えをなくしたい」で、日本国内には、全く目が向いてなかったのです。

当時、まだご健在であった松下幸之助塾主は、「世界を変えたいならば、日本を変えよう」「日本を変えたいならば、自分の住んでいる地域を変えよう」「自分の地域を変えたいのであれば、自分自身を変えなくては変わらない」という信念をお持ちでした。

松下政経塾は、「現場現物、足元から」という方針でした。
それで、改めて、工場実習や販売店実習を経験し、地域の国際化や教育問題、コメの自由化といったテーマに取り組みました。
先輩の選挙の応援で、鹿児島県指宿市に行った時のことです。
かつては、東洋のハワイと言われる観光地だったそうですが、この当時、指宿市よりも本物のハワイに行ったほうが安く、身近になってきていました。観光地としての輝きは、すでに失われていました。
住民の多くは、鹿児島市内に働きに行くか、大阪や東京へ出稼ぎに行き、自営業か公務員の以外の人は、働き手の若い人は町にほとんど見かけませんでした。
「年老いた家族と一緒に生活をしたいが、暮らせない」という家族も多くいました。
その後も、日本国内各地を周り、日本にも実は大変な問題がたくさんあることに気づかされました。
東京に一極集中する一方で、過疎化が進む地方。働く場がなく、年に一度しか会えない離れ離れになった家族。
人間関係や様々なストレスに悩む人たち。いじめ、学級崩壊など、悪循環の教育システムの中で、もがく子どもたち。
「足元から変えていかなくては、世界はおろか日本も変わらない。」
そんな思いを強く抱きました。松下幸之助塾主の想いが少しわかったような気がしました。
卒業後は埼玉に戻り、自治体や企業のマーケティング、地域開発、コンサルティングなどを行う小さな会社を始めました。
「地域から世界を変えよう」との思いを胸に刻み、衆議院議員の公設秘書として活動するなど「いつかは自分の手で、理想のまち、社会、そして政治を作りたい」「一人ひとりが幸せを感じる理想のまちづくりを実現したい」と心に誓い活動してきました。

市長選に挑戦「さいたま市を1つに」「子どもが輝く絆で結ばれたまちに」

県議時代、「この課題をなんとかしてよ」と市民の方によく相談を受けました。しかし、政令指定都市であるさいたま市には多くの役割や権限が既に県から市に権限移譲されており、その課題のほとんどが、さいたま市の権限でした。県議会議員としてお手伝いできる範囲は非常に限られていました。

政令指定都市になり、地域の課題が以前より市で決められることになっています。しかし身近な場所に区役所はできましたが、これまでよりも少し市民から遠い存在になってしまったように感じられました。
また、旧浦和、旧大宮、旧与野、旧岩槻の4つの市が合併してできた市ですから、いきなり1つの市といっても歴史も地域の特性も違い、地域間の対立みたいなものがあり、「政令指定都市にはなったけれど、一体どこがよくなったんだ」という市民の声もありました。
旧4市は、それぞれ埼玉県の中でも有力な市であり、「歴史と伝統文化のまち」「県都、文教都市」「商業・経済都市」「文化芸術のまち」それぞれの歴史や文化、地理的な特性など違いもある中で、もっとそれぞれの地域の文化や伝統を生かしながら、うまくやっていけないものかと私は思っていました。
同時に、合併により人口約122万人(当時)、全国でも9番目に大きな都市になったさいたま市が、その総合力を活かして、それぞれの特性を活かしながら1つの市として連携し、さいたま市の個性と総合力を高めていくことが必要だと強く感じていました。

さいたま市には、素晴らしい能力をもち、市内外で活躍している市民の方々がたくさん住んでいます。小さくてもキラリと光る技術力や経営力を持った、その分野ですごいシェアを持つ企業がさいたま市にはたくさんあります。

また、さいたま市内や周辺には、約10の大学(大学院、短大含む)もあります。
こうしたさいたま市が持っている様々な資源(人・もの・カネ・情報)を有効に活用していくとともに、それぞれ全員に参加してもらい、心を一つにしてまちづくりをしていくことで、もっと魅力的なさいたま市ができると感じました。

一方で、リーマンショックの直後、100年に1度の経済不況に見舞われていて、この閉塞感をなんとか打ち破って、新しいビジョンを提示していきたい。
そのために、政治が十分な役割を果たさなくてはいけないと強く感じました。
そして、それぞれの地域の特性を生かしながら122万人(当時)の市民の力、企業や大学の力を結集して「さいたま市を1つにしたい」「市民一人ひとりがしあわせを実感できるまち」「子どもが輝く絆で結ばれたまち」を作りたいという思いで、立候補を決意しました。

3つの基本姿勢

「責任と共感・共汗」

私が市政運営をする中で、基本としている、三つの基本姿勢について、説明します。
第1に、市民、事業者、行政それぞれが自らの役割と責任を果たし、それぞれが連携し、共に感じ共に汗を流し、地域の課題、さいたま市全体の課題に取り組んでいく「責任と共感・共汗」です。
市民が自立し、市民として地域の中での役割を考え、取り組んでいくとともに、市政運営やまちづくりの中に参画していくこと。もちろん、様々な環境によって自立することが難しい市民には、行政がしっかりとサポートしていきます。また、地域の中で、市民がお互いに理解し合い、ともに暮らし、支え合うことのできるコミュニティを形成していくこと。
事業者はまずは、企業経営を通して利益を上げるとともに、事業活動を通して社会に貢献していただく。同時にいわゆる企業としてのCSR(企業の社会的責任)をしっかりと認識し、地域との共存を図っていくこと。行政は、地域経済発展のための環境をつくり、支えていくこと。
行政は行政として、市民サービスをしっかりと市民目線で行ない、効率的で効果的な運営を行なうこと。市民と一緒に汗をかき、市民と一緒に何が課題なのかをしっかりと感じ、そして、寄り添って、課題解決にともに取り組んでいくこと。
それだけでなく、市民や事業者との対話を図りながらニーズを把握し、行政としての取り組みを明確にしていくこと。
以上がそれぞれの役割と責任を果たしながら、かつ、3者がともに理解しあい、ともに感じ、一緒に汗をかいて、まちづくりを行なっていくことが必要です。
家族の絆、地域の絆、さいたま市全体の絆を大切にして、信頼と絆によるまちづくりが重要です。また、市民全員参加のまちづくりを行っていくことが大切です。
「責任と共感・共汗」。
この言葉こそが、さいたま市のまちづくりのキーワードとなるものです。

「徹底した現場主義」

第2は、「徹底した現場主義」です。
現場から様々な課題が上がってきます。
その課題を解決するためには、現場へ直接行って、何が問題なのか、課題なのか、その本質をしっかりと把握する。
そしてその解決策もまさに現場から、現場で働く人、現場の中からこそ発見することができると考えています。
市民の皆様や現場の声を、私自身がしっかりと把握し、市政に反映していくことが大切なことと考えています。

自らの行動宣言として位置づけ、12年間で1216回(R3年1月現在)の現場訪問などを実施してきました。
現場訪問は620回、タウンミーティングは161回、学校訪問334校、車座集会は101回、合計1216回(令和3年1月末現在)実施しました。
そして、その中から聞いた様々な意見や課題をしっかりと受け止めながらその解決のために様々な計画や条例、施設に反映させていただいてきました。

【エピソード1】
学校訪問では、ある小学校の校長室前に「きらめきメール」と書かれた掲示板がありました。そこには
「W年P組YSちゃんへ、いつもやさしくしてくれてありがとう。V年G組AKより」
と書かれた可愛らしい小さな紙が貼られていました。
また、
「X年Y組ZZちゃんへ 昨日は、ぬれていた床を拭いてくれてありがとう。AB先生より」
など、児童から児童へ、児童から先生へ、先生から児童へと、たくさんの感謝の気持ちがカードに書かれ、掲示されていました。
その時、成人式に出席した保護者から「さいたま市で子どもを育ててよかった」との感謝の気持ちを込めた礼状をいただき、大変勇気づけられたことを思い出しました。
「ありがとう」は、多くの人に勇気を与え、やる気を引き出します。
この感謝の気持ち、「ありがとう」という言葉が、市民、地域、行政、事業者などをつなぐ絆となるものと考えています。
「行政から市民へ」「市民から行政へ」「市民から市民へ」
「ありがとう」がたくさんある街、これが絆で結ばれたさいたま市です。
各区役所のXXメールは、ここから始まりました。「区役所はありがとうを創造する場所」になります。

【エピソード2】
別のある小学校での学校訪問の挨拶運動の際、特別支援学級に通っている児童とお母さんに声を掛けられました。
お母さんが、
「先日、子どもが市のユーモア大賞に入選し、市長さんから舞台で表彰状をいただきました。そのことをきっかけに子どもが自信を持つようになりました。市長さんありがとうございました」
と、子どもの手を握り締め、涙を流しながら私に話してくれました。
その子と握手をしながら、お母さんの、子どもへの深い愛情に感動し、むしろ私の方がお礼を言いたいくらいでした。
仕事を単純化すると私たちにとっては、「表彰状を読み、渡す」ということですが、そのことが市民の人生を変えることにもなるということです。
私たち市役所は「市民のしあわせコーディネーター」です。私たちの行っている全ての仕事は、市民を幸せにするためにある。
日々の仕事を、一つ一つをそういう思いを持って、仕事に当たらなければなりません。
私もそれ以来、特に表彰状を読むときは、心をこめて、読み、渡すように心がけています。
親子の絆を大切にしたい。子どもの夢を叶えるカを充実させていきたい。そんな思いを強くした朝でした。

学校訪問に限らず、現場訪問やタウンミーティングなどでも、市民の皆様との、こんなふれあいや気づきがたくさんあります。
現場訪問では、市の様々な出先機関、保育所や子育て支援センターの現場、特別養護老人ホームや地域包括支援センターといった福祉の現場など様々な現場を訪問し、今抱えている課題をうかがったり、あるいは現在の様子などを見せてもらったりしています。
タウンミーティングでは、「スポーツ振興条例について」、「(土曜チャレンジスクール)どちゃれ」などの具体的なテーマをつくり、各10区に伺い、公募によって参加していただいた市民の方々や、関連団体の方々と対話を繰り返してまいりました。
職員と車座集会では、10人前後の職員たちと率直な意見交換をしています。
「私は、市民の皆さんに、いかに満足してもらえるか、いつも考えて仕事をしています」「窓口に立つ時は、笑顔でいつも市民にあいさつするように心がけています」など、仕事に対する思いを職員が熱く語ってくれることもあります。
私からも戦員に、私の思いを語りながらお互いの意見を交換し、同じ方向をしっかりと向いて仕事をしていこうと、集会を繰り返しています。
私にとっては、職員とのコミュニケーションができる貴重な機会でもあります。
職員一人ひとりが現場力を高め、チームワークを向上させ、自ら目標を設定して仕事に取り組むことを期待しています。
このように、市民の皆様、また現場の声を市政に反映していくとともに、職員と私が直接、話をする機会を設けることは、士気の高まりにも一役買えるものと思っています。

「公平・公正・開かれた市政」

そして3番目は、地域に偏らない、しがらみのない「公平・公正・開かれた市政」の実現です。
旧4市が合併して誕生したさいたま市にとって、それぞれの市民の皆様の信頼を得るには、公平性、公正性が必要不可欠です。
「どのような基準で、どのようにして、こうした予算が組まれたのか」、そうした予算編成のプロセスをお知らせする。
こういった情報公開を進める中で、一部の地域に偏らない、しがらみのない市政が運営していけるものと考えています。
この予算編成過程の公開は、平成22年度予算から要求段階、財政局査定段階、市長査定段階の段階ごとに金額、理由などを明らかにし、透明化を図っています。
また、重要政策の決定機関である都市経営戦略会議の検討過程なども、どのような理由、根拠で、どのように意思決定されたのかを分かるようにするため、議事内容をホームページで公開しています。
このような過程の公開を通じて、公平性、公正性を担保することで、さいたま市が1つになってくるものと思います。
情報公開は、公正で開かれた市政を実現するための基盤的な制度であり、市政運営のライフラインとも言うべきものです。
行政情報の積極的な「見える化」を図るとともに、「情報公開日本一」を目指してまいります。

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